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2013年4月15日月曜日

Vol.9 来たるべき旅立ちを前に


2013年4月11日、心優しい方にご招待いただき、

堀込兄弟ふたり組のキリンジラストツアー公演に行ってきました。

翌4月12日のコンサートを最後に、

キリンジはふたり組からひとり組になりました。

端的に言うと、弟の泰行さんが脱退いたしました。

ガーン。


キリンジはFINEあたりからのニワカファンでしたが、

最初はこの『ヤス脱退』の事実があまりきちんと受け止められず、

自分のこの目で「キリンジのヤス」の最後を見届ける腹も括れず、

ですからライブチケットを取る気にもなれず、

二人組としての最後のアルバム「ten」も手に入れたのに聞けず、

とにかくだらしない日々を送っていました。



唐突ですが、私はキリンジに借りがあります。

かなりどうでもいい話なんだけど、ちょっと聞いてくださいよ。

この心のありったけを今夜は、ネットの宇宙に放ちたいのですよ。



あれは2005年の晩秋、私は人生で初めての大失恋をしました。

このままずっと続くと思っていたものが、ある日突然崩れてしまった。

私が旅行から帰ってきてからあまり目を合わせなくなった恋人に、

「他に好きな人が出来た」と更新したばかりの同棲部屋で告げられました。

突然予想もしてなかったことを聞かされれると

景色は広角レンズで見たソレのように歪むことを知りました。

告げられる方は唐突だけど、告げる方は着々といろいろ進めてんだよな。



ちょうど異業種に転職したばかりだったので、

職が変わり、男を失い、住む家も変わった私は途方に暮れてしまいまして、

まぁそれからは本当にみっともなく、ズルズルと25kgも痩せてしまった。

友達の家に行くにも、もしかしたら彼にばったり会うかもしれない…と

ばっちりメイクして綺麗なおべべを着て行ったり(ばったり会うわけがない)、

下戸なのに毎晩知人のバーに入り浸って朝までジュースを飲んでクダを巻いたり、

山手線で恵比寿を通過する度に泣き崩れたりしていた。

生きている意味がなくなってしまった。

つまりギリギリ人間だったわけであります。



一世一代の大失恋をして知ったことは、

失恋は親が死ぬよりはるかに苦しいということでした。

なぜなら喪失感に妬みや恨みがトッピングされるからです。

大好きな人の不幸を祈るというよくわからないパラドックスに日々熱心でした。

もうそこに無いものに、ずっとずーっと執着していた。



そんな私をギリギリのところで崖から落ちないよう引きとめていてくれたのが

キリンジの楽曲でした。

それまではエイリアンズを知ってるよ~程度でしたが、

なにかの時にDrifterを聞いて、ヤスの声に、兄の詞に、

私は内臓のすべてを鷲掴みにされました。

あれは決別の歌ではないけれど、私には決別の歌に聞えたのです。

冷蔵庫のドア開いてボトルの水飲んで、

私はなんとかシラフでいようと自分に誓いを立てました。

実際には可哀想な自分に酔っていたけれど。



それからはむさぼり食うようにキリンジを聞きました。

過去のアルバムを買い、ソロを買い、歌詞を読み、音の粒を聞き、

ことばのひとつひとつに打ちのめされ、励まされ、気付かされ、

時間がもっともっと早く過ぎることを祈りました。

キリンジの画像をググっては右クリックして保存し、

ネットラジオのキキキリンジを聞き、

友達とキリンジ縛りのカラオケにいき、

mixiでキリンジについての熱い思いを日記に書き、

単行本を買って風呂で読み、ブロスを立ち読み、

年末にはひとりでカウントダウンジャパンのライブに行きました。

とにかく一日中キリンジを聞いてキリンジのことを考えていることで、

なんとか明日に命をつなぐことができました。

あの時私の心はたしかに仮死状態だったのだけれど、

なんとか生きていられたのはキリンジと忍耐強い友達のお陰でした。

だからキリンジには借りがある。



それからキリンジは私の特別になり、

リリースがあれば問答無用で必ず買う唯一のアーティストになりました。

そして何を問答無用で買っても、

キリンジは私の期待に必ず応えてくれました。

キリンジは決してメロドラマの主人公にはなれない市井の人々の

控え目な日常や感情を、丁寧に丁寧に歌ってくれる。

車通りの多い道で、黙って車道側を歩いてくれる。



失恋の痛手は忘れたころにフラッシュバックでやってきて

影の唄が出たあたりでもまだめそめそしていたけれど、

Golden harvestのハンドクラッピンをひとりで練習して乗り切った。

Billboardのチケットは結局一度も取れなかったけれど、

兄のレトリックとユーモアと、弟のナイーブな感情と誰よりも澄んだ声には

それから何度も何度もシラフに引きもどして頂いた。

誰ともコミュニケーションを取りたくないけれど誰かにそばにいて欲しいとき、

キリンジはいつもそこにいてくれた。

堀込兄弟のキリンジが終わる日が来ることなど、

考えたこともなかった。



大失恋()から早8年のある日、

「キリンジからヤス脱退」のニュースが舞い込みました。

このままずっと続くと思っていたものが、ある日突然崩れてしまった。

突然予想もしてなかったことを聞かされれると

景色は広角レンズで見たソレのように歪むことを思い出しました。

告げられる方は唐突だけど、告げる方は着々といろいろ進めてんだよな。



キリンジの音源はすべてPCに入っているけれど、

久しぶりにCDを引っ張り出してきました。

FINEとDODECAGONがなかった。

大失恋の次の次に付き合った男の家に、

喧嘩別れしてぜんぶ置いてきたのを思い出しました。

私は今日もずうずうしく生き延びています。



NHKホールには開演ギリギリに到着し、席についてすぐライブが始まりました。

キリンジはこれ以上ないというほどたくさん演ってくれた。

さよならデイジーチェインで、むかし女友達が

「ライブであれ聞いて、なんでだか突然泣いちゃったんだよ」

とはずかしそうに言ったことを思い出した。

本編最後のブルーバードを聞いて、ああこういうことあるよなーと思った。

真相はわからないけれど、あの旅立ちの歌を書いた時、

ヤスは自分がこれを歌ってふたり組のキリンジに自ら幕を下ろすことになるとは

まったく予想していなかったのではなかろうか。

私は私が歌詞を書いた旅立ちの歌を最後に歌いながら

解散(散開)したガールズユニットのことをちょっと考えました。



奇特な方のご厚意で、ライブ終演後お二人にご挨拶ができました。

熱いファンの皆さますみません。

(;゚∀゚)=3ムッハーな好意丸出しをやるとご迷惑なのはわかっていたので、

きわめて冷静に冷静にライブが楽しかったことと、感謝を伝えた(はず)。

高樹さんには「トップ5はもう終わっちゃったんですか?」と尋ねられた。

音楽の仕事もしてますねん、とトマパイのアルバムをお二人に渡したら、

「とまとぅんぱいん…。あ、知ってる」と泰行さんに言って頂けた。

あんた本当に生きてて良かったねぇ(鏡を見ながら)。



帰り道、そういえば失恋で頭がおかしくなっていた私を励ましてくれたのは

キリンジのDrifterだけじゃなく、馬の骨(弟泰行さんのソロプロジェクト)の

枯れない泉でもあったことを思いだしました。燃え殻からの枯れない泉!



ならば25kg減った体重も無事に元に戻ったことだし、

私は冷めたピザをほうばりながら新しいキリンジと馬の骨の新作を待ちますね。

おつかれさまでした。ありがとうございます。

音楽ってマジ素晴らしいな。





                 




3 件のコメント:

  1. いつもブログ、楽しく拝見しております。スーさんのブログ読んで私も今日はキリンジフェア開催です。
    全アルバム聴く勢いで徹夜仕事です!!

    ヤマダ

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  3. 33歳といい歳の男ですが、ちょっとほろっときました。キリンジさんいいですね。初めて知りましたが、聴いてみます。

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